人生の分岐が“多すぎる”と、人は産まれない

少子化の原因を語るとき、たいてい制度の話になる。でもそれだけじゃない。
もっと根っこのところで、「別に子どもいなくても人生楽しいんだけど」って人が増えてる気がする。
趣味の多様化、推し活、サブスク漬けの毎日。
気づけば、“子どもを持つ”という人生選択の優先度が下がっている。
それって本当に悪いことなんだろうか。

ありがちな分析に飽きてきた

少子化のニュースを見ない週はない。
で、いつも出てくるのは「経済的負担」「保育士不足」「長時間労働
もちろん全部正しい。でも、それって本当に“本丸”なのか?って疑いたくなることがある。
私が思うに、もっと地味だけど根深い理由があるんじゃないかって話をしたい。

人生が楽しすぎるという問題

かつて「大人になる」というのは“家族を持つこと”とほぼイコールだった。
つまり、就職して結婚して、子どもができて、家を買って……みたいな人生ルートが、「当たり前」とされていたわけだ。
でも今、その“当たり前”が静かに崩れてる。

趣味が多様化した。いや、正確には「趣味に本気でのめりこめる時代になった」と言うべきか。
昔なら“遊び”だったことが、今は“ライフワーク”になり得る。たとえば、ゲーム実況、創作、フィギュア集め、海外ドラマの考察、筋トレ、カフェ巡り、旅先での映え…。
それら全部が、収入にもなれば、承認欲求も満たしてくれる。しかも、ひとりで完結することが多い。

そんな中で、「育児? 毎日睡眠不足で、時間も金も持ってかれて、自分の趣味なんて全部後回し」ってなると、そりゃあ天秤が傾くのは当然だ。
“子どもがいない人生”が寂しいわけじゃない。子どもがいない人生にも、幸福のバリエーションが無限にある。
それを知ってしまった人は、たぶんもう昔の価値観には戻れない。

因みに私もそんな幸福のバリエーションに揉まれた一人でもあり
当然ながら子供が作れない・持てない体でもある。
まぁ…技術が進歩して持てるようになったとしても、持たないと思うが。

子どもを持つが“選択肢”に成り下がった

一昔前まで、「子どもを持つかどうか」なんて悩む余地はなかった。
周りもそうしてるし、親も望んでるし、社会もそれが当然って顔してる。
だからなんとなく結婚して、なんとなく子どもを持つ。
それが“普通”だった。

でも今は違う。
SNSを開けば「子どもいなくても幸せに暮らしてる夫婦」の投稿が流れてくるし、YouTubeではひとりを楽しむ暮らしが人気ジャンルになってる。
片や高齢化と同時に高齢結婚年の差婚なども昔に比べて当たり前になってきている。
有名人だって「高齢のために子供ではなく、ペットを家族として迎え入れました」など。
そしてファン達も子供というキーワードはそっちのけでペットの話題で盛り上がるのだ。
一人である事に違和感もなく、突っ込まれる事も少ない。
どんな生き方でも、それなりの快適さと充実が手に入る時代。
それなら、なんであえて大変な方を選ばなきゃいけないの?って疑問が生まれるのも当然。

子どもを持つことが“人生のデフォルト”じゃなくなった。
いまやそれは、数ある選択肢の中のひとつ。
ゲームを選ぶ人もいれば、旅を選ぶ人もいる。起業する人もいれば、推しに全てを捧げる人もいる。
子育ては“その中のひとつ”に過ぎなくなってる。
そしてたいてい、それはハードモードだ。

社会はまだ“子どもを産むのが当たり前”

一方で、社会の設計図はまだ“全員子どもを産む”が前提のまま。
結婚したら子どもを持つのが普通。子どもがいなければ「まだなの?」と聞かれる。
産まないという選択が、未だに何か足りないものとして扱われている空気がある。
先の有名人やSNSなどで見かけるお一人様に全員が同意しているかと思えば
実は半数以上は反対していたり、誹謗中傷をしてみたり。
そして同意している人も心の中では「いや結婚したなら産めよ」と思っている人も多い。

政策もそう。出生率を上げるための施策はたくさんあるけど、「産まない人生」を肯定する制度やメッセージってほとんど見かけない。
住宅補助も、税制も、教育制度も、子どもがいる家庭を中心に組まれている。
それが悪いわけじゃない。でも、「いない家庭」や「持たない個人」への視線がまだ追いついてない。

結果として、“持たない人”は居心地が悪く、“持つ人”はサポートが足りない。
両方がしんどい、という不思議な構図になってる。
それってたぶん、少子化をどうにかしようとしてるわりに、社会が“本当に多様な生き方”を認めきれてない証拠なんだと思う。

まぁ…多様性多様性と言いたくはないけど、実際にもう社会には多様性で溢れている
それが仕方なく多様性寄りの生き方をしているのか、はたまた自ら多様性の塊です!認めてね!な人なのかはさておき。
私だって仕方なくの一派に片足を入れている。いや、両足か
結婚しようがお一人様だろうが、生涯どうあがいても子供を作る事はできないのだから。

生き方に自由はあっていいんじゃない?

もちろん、子どもを持つことを否定するつもりはない。
実際、育児はすごいしんどいけど、きっとすごく尊い。でも、それが唯一の“価値ある生き方”だと言われたら、ちょっと違うと思う。
じゃあ子供が嫌いな人に価値観は無いの?同性婚は罪なの?一人だけど充実してる人は社会に認められないの?
私は人じゃないの

よく同性婚は生産性が無いから反対…なんて言われているが
結婚せずとも同性愛者は事実婚のように付き合うし、異性愛者でも子供産まない人だっている。
それよりも目先の快楽に負けて可哀想な子供が生まれるよりも良いと思うんだ。
そして子供を育てたいと思う人は里親にもなっている。
子供が生まれない事には人口は減っていくと思うが、無理に作っても結局不幸な子が増えてしまうだけなんじゃないかな。

今の社会には、「子どもがいなくても、人生は豊かで幸せでいい」という選択肢が、まだちゃんと用意されていない。
多様な人生が認められているようで、どこかに“正解ルート”の亡霊がいる。
私たちはもう、そいつから自由になってもいいはず。

趣味に生きる人も、推しに貢ぐ人も、旅に出る人も、家族を作る人も、全部同じくらい“まともな人生”だと思いたい。
そしてそれが、制度にも空気にも反映される社会になったとき、
「子どもを持ちたい」と思える土壌が、やっと整うんじゃないかと思う。

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