記事1つ目にしてヘヴィなタイトルでは御座いますが…
昔から疑問に思っていた事です。
私の性格上、人に嫌われることを極端に嫌う為
フルオートで優しさを振りまいています。
それはもちろん嫌われない為。
人に優しくないと冷たいヤツだと思われてしまう。
しかしそれって本当に優しさなのか
それともただ圧力に屈してるだけなんじゃないか
色々と思った事を書き殴っていこうかなと。
何故そんな疑問が湧いたのか
そもそもの話ですよね
普通に生きていればそんなの当たり前だと思ってしまっている
疑問を持つまでは、私も鼻水垂らしながら適当に生きてました。
でもとある時に…ふと、ふと。
頭の中をグルグルとその時の様子が飛び回っているんですよ
一度それを経験すると、次々に疑問が涌いてくるんです。
相手が泣いてたら優しくするのが“人として当然”
学校で女子が泣いてた…あー!A君が泣かせたー!
職場で新人が泣いてた…あー!部長最悪ー!
ま、人間誰しも生きてたら1度は遭遇する場面じゃないでしょうか。
私ね、これが大嫌いなんです。
というのも…学校で女子が泣いてる時に優しくしなかった
そしたら冷たいヤツ認定された。
私が学生時代に遭遇したアレですが
何やら教室の後ろでA君が女子集団に囲まれていた
男子たちは冷やかしと野次馬、先生はおらずワイワイガヤガヤ
「A君サイテー!別にいいじゃん!」
「B子…元気出しな?あいつが最低なだけなんだから」
どうやらB子は消しゴムを忘れてきてしまったらしく
隣の席のA君に貸して欲しいと頼んだが断られたそうだ。
B子はかなり几帳面でノートも綺麗に写す子だったが
消しゴムが無いせいで今日のノートはグチャグチャのまま。
プライドが許さなかったのか授業終わりに泣き出してしまった。
なんだなんだとB子の周りに人が集まり始め
「あのね、さっきの授業でね……」とB子が泣きながら語る。
…そして冒頭の悪口に繋がるわけだが。
A君は下を向いたまま女子らの罵詈雑言を受け続ける。
何か言いかけても女子グループの長のような子が間髪入れずに悪口を言う。
しかしよく聞くと同じ言葉の繰り返しばかりなのである。
「マジあいつサイテー」「B子かわいそう」「A君が悪い」「B子は悪くない」
まぁ…結論から言えばA君は悪くないのである。
本来なら忘れ物をした場合はまず先生に言う
先生は「隣の子に借りなさい」派と「これ使いなさい」派が居るのだが。
そもそもB子はプライドが高くて忘れ物をしたと言えなかったのだろう。
こっそりと隣のA君に聞いたがお断りされたと。
しかし私はその断られた理由が何となく分かっていた。
A君は物を大切にする子で、元々使っていた消しゴムも小指の爪ほどの大きさになるまで使っていたのだ。
うちもそうだったが…次を買ってもらうには「消耗しきったら」の家庭だったと思う。
そしてやっと新品の消しゴムを買ってもらったと喜んでいた。
…そこにB子の魔の手が迫ったわけだ。
私はその喜んでいたA君を知っているので、我関せずといった態度をとった。
近くにも行かないし慰めもしない。ヤジも飛ばさない。
男子たちは飽きたのか割とすぐに校庭へ駆けて行ったのだが
それを皮切りに全女子がA君を取り囲んだ。
元々おとなしい子などは参加しなかったが、一般的な女子は全参加。
恐らく私も「一般女子」に分類されていたのだろう。
「うわー、なえっち…B子がかわいそうじゃないの?」
「なえちゃん冷たーい」
「こんなに泣いてるんだよ?優しくしなよ」
なんで?
なぜ悪い方の味方をしないといけないのか?
なぜA君の断った理由を聞こうとしないのか?
なぜ泣いている方が被害者になるのか?
なぜ参加しなかった男子には言わないのか?
なぜ私が標的になったのか?
私はその時に心底嫌気がさした。
幼いころからみな遭遇しているのだ。同調圧力に。
結局周りの子たちは一様に同じ言葉しか言わない。
本音は隠したまま、優しく振舞うのだ。
泣いていたら可哀想
泣いていたら慰めてあげなきゃ
泣いていたら理由を聞いてあげなきゃ
泣いていたら優しくしなきゃ
周りを見ずに決めつけと思い込みで善悪を決めるのは恐ろしい
今回は比較的に可愛いものではあったが、犯罪の現場に遭遇する事もあろう。
……泣いている方が加害者だったとしても?
優しさってそもそも“なんのため”にあるの?
事件に遭遇してから考えるようになりました。
本当に相手の為?それとも自分が気持ちよくなる為?
優しさって、本当に“善”なの?
ただの自己犠牲じゃない?
同調圧力…恐ろしいもので、自分はそんな事していないと言い張る。
1人ではできない
2人でもできない
3人も集まれば圧力が始まる。
集まり会でそろそろ夕食を取ろうと誰かが口を開く
「ご飯なににする?」
この段階ではまだ平和なんです…選択肢は無限、パラダイスです。
「私はラーメン!」「私もー!」
ああ、もうこの時点で圧が掛かってしまいました。
3人目は本当は焼肉が良いのに、結構な割合で「じゃあラーメン…行く?」
何だったら2人目も別のモノを食べたかった可能性がありますね。
面白いことに人数が増えれば増えるほど圧が増します。
大人数での多数決なんて地獄。
まだ同時に挙手だったら救いがありますが、順番に聞いていくよ…なんて日にはもう。
今回は「やさしさ」がテーマなので話を3人の場合に戻しますが
本当にどうでもよくて合わせたって事も考えられます
もちろん全員が本当にラーメンが食べたかったかもしれません。
しかし日本人は”相手の希望を通してあげたい“という人が多い気がします。
その上で空気を読む文化が相まって余計にでしょうね。
中には違う考えの人もいるかと思いますが
(あ、Aはラーメンが食べたいんだ…じゃあラーメンって言おう)
(あ、Bもラーメンが食べたいんだ…じゃあラーメンって言おう)
この繰り返しな気がします。
どうしても!にならない限りは相手に合わせる…
この場合は圧力とやさしさの両方が複雑に入り混じっているのかなと。
つまるところ、自己犠牲のもとにやさしさが成り立っている事もある。
他人に向けるやさしさって何なんでしょうね。
因みに私が聞かれた場合…?
私は好き嫌いが無く、基本的に興味がないため
「なんでもいいよ」
“優しくできる人”って、余裕がある人
擦り続けられたn番煎じの見出しですが、本当にそうだなと思います。
ただし…自己犠牲ではない優しさに限りますが。
いじめられっ子に手を伸ばす
泣いてる人に手を伸ばす
子供に優しく接する
お年寄りに席を譲る
落ち込んでいる人を慰める
どんなシチュエーションでも、きっと余裕のある人が優しさを振りまいています。
何度も言いますが…自己犠牲の優しさは優しさではありません。
いや、表向きの優しさではあります。
しかし自分には優しくない。
そろそろ自己犠牲の優しさはやめませんか
他人に優しくする前に、自分に優しさを振りまきませんか。
え?私は優しさを持っているかって?
もちろん私も例に漏れず自己犠牲で成り立っています。
つまり何が言いたいんだ?
優しさって一括りにしてはいけない言葉だと思いました。
自己犠牲、偽善、圧力、本心、嘘…蓋を開けると色々あるんですよね。
人間って優秀なのでスムーズに優しさを振りまく事ができます。
本心から人に優しく接する
子供嫌いだけど世間の目を気にして優しくする
外見では分からない持病があるのにお年寄りに席を譲る
好きでもない相手に優しくする
周りを気にして多数派を演じる
自分も忙しいのに部下の仕事を手伝ってあげる
道に迷っている人にドキドキしながら声を掛ける
全部優しさです。
でもほとんどは心からの優しさではないような気がしてなりません。
あ、私の性格が悪いからそう思うだけですかね?
あなたも優しさ、義務化してませんか?
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